という言葉をよく耳にした。
昔いた会社の会議での事だ。
今日の文章は、色んな意味でローカルだと思う。
そしてベラボーに長いと思うので、誠に恐縮だ。
初参加した会議では、「レベッカのベストのイニシャル」だの、
「ノッコのイニシャル」だのと、変な言葉が交わされるのを聞いて、
えーと本名は「やまだのぶこ」だからぁとか、
レベッカのイニシャルってCRとかRCか?とか、
本気で考えていたのだけれど、その話ではない。
そんな若造を置いておいて、会議の主要メンバーである
「大人達」は、ドリカムだユニコーンだジュディマリだと、
往時のCD売り上げを支えたファン層、中学生高校生位を中心にして、
全体的に若いユーザー層を、「子供達」と呼んでいた。
二十歳そこそこの僕には、何だか余り聞き慣れない言葉だったので、
強く印象に残っている。
で、先日またあのお店でコーヒーを飲んでいたら、
お店の中心スタッフが、以前僕がツアマネなどなどをやっていたバンドの、
熱烈ファンだったのだと聞いた。幾つくらいだったの?と聞くと、
「中学生でした」という。
まさに当時の「子供達」が、今や立派に仕事をして、
今日も旨いドリップを出してくれる。
話は飛ぶけれど、みうらじゅん氏原作の「アイデン&ティティ」。
原作の漫画も好きだし、くどかん脚本の映画も好きだ。
その中で、主人公のバンドが生放送のテレビ番組に出演。
リハとはまるで違う演奏をして、アンプの電源も切られ、
ステージから追い出される。
直前の楽屋で言うのが「大人達を困らせたいんだ」
実際にそんな事をしたバンドも知っている。
東北六県ネットの番組「なんとかのひととき」は、
自称アマチュアバンドの姉とかいう、実際は曾祖母くらいの、
鼻くそみたいなのが司会をして、格調高く放送されていたのだけれど、
出演したあるバンドが、リハでは「ラブー ラブー♪」みたいなオリジナル曲をやり、
生本番では語りと「港のヨーコ」のメロディをミックスさせて、
「○トヤのヒルカワビッグないちもつー」と笑いを取った後、
「女子高生の体を貪り」だの「田舎もんのせこさ丸出し」だの、
「日本一魚臭いスタジオはー ○ライングハウスー」だの言って、
当時勢いがあり、擦り寄るものも多かった会社を名指しで批難。
放送では曲の途中のクロスフェイドで、ビバルディの四季か何かが流れ出し、
それを聴いた僕らは快哉を叫んだ。
ちなみにくどかんは僕と同郷である。
と、今回もまぁ長い枕なのだけれど、
これからが本題なのであるのは、言う迄もない。
そんな「子供達」でもなく「大人達」にもなれなかった僕は、
ある意味「大人達」に翻弄されたアーティストと、
1995年から長いこと一緒にモノを創ってきた。
その人が一つ決めた事があって、
それ自体は少し前なのだけれど、
それをようやく
自身の言葉で伝えたので、
それを見た人から僕のところにも色々と問合せが来る。
そこには僕の意思だの情熱だのは介在しようがないのだと言っても、
なかなか認めてもらえない。何か映画の様な台詞を求められる。
だが、負わねばならないもののホントの所は、僕の中にだけ存在する。
そして、全く知らない事やありもしない事を、
想像力豊かに、さも見て来たかの様なフリをする、
心ない言葉達に身を晒しながら、それでも顔も名前を隠さず、
削りすぎる程身を削って生きた言葉を生み出し続けた、
あの人の中にだけ存在する。
何でもかんでもカテゴライズする風潮の中では、
なかなか答えが難しい話なのだけれど、
僕はこんな頃からブレはありつつも創る事には
潔い話に接し、
この頃に
書いていた事が予言の様に思えたりしながら生きているので、
なんというか「らしいなぁ」と思うだけなのだけれど、
とにかく最後のオツトメも、いつも通り持てるスキルを全て使って、
淡々としっかり果たさねばとは思っている。
まぁ当たり前の事だ。
記録の方は沢山残せて、
あの曲も録れたのである意味思いを果たした。
今度は人の中に、何かしらの記憶を残したいなと思っている。
だから、10月の17日は、
皆さんお誘い合わせて
南青山MANDALAへゴー!
チケットは
こちらか
こちらでゲット!
な訳で、早い話が宣伝である。
で、その結果が「大人達になる」って書ければ良いのだけれど、
反対に「子供達になる」と書いて、
皆から可哀想な人を見る優しい瞳で見られても良いのだけれど、
今のところはどうにも無理なので、
今はとにかく長きに渡って支えて下さった皆様に、
心から感謝をしなければと思っている。
本当にありがとうございました。
で、鎮痛剤を飲んで寝たら、
こいつらが笑いながら走ってくる夢を見た。
大変に汗をかいたので、お裾分けしたいと思う。
最後のお疲れさまはいつ言うのかなぁと考えたりしながら、
誠にローカルで恐縮なのであるのよ。