誰も語らないけれど、
石坂浩二氏が黄門役の「水戸黄門」があった。
歴史に通暁した氏が主役なだけに、
誠に細かく時代考証をして作ったそうだけれど、
視聴率は芳しくなく、シリーズがすぐに打ち切られてしまった。
ちょうどその頃、清水湯から出て来た婆さんの会話を聞いた。
「黄門さんがあんなに理屈っぽくちゃねぇ」とか「見せ場がないよ」とか。
それが世間様のテレビ時代劇の見方なんだろうと思う。
やはりコントの様な仕掛けが付いた風呂で、
カオルさんがうっふん代官様とかやらないと駄目なのである。
本題前にぐだぐだと能書きを書いてみたり、
へ理屈をこねてみたりするのが癖な僕としては、
誠に耳が痛いのだけれど、そこは仕方がないのである。
で、その癖で昨夜もしくじった。
メールって難しいなぁと思う。
そのメールの前は、
入間で手練な夜だった。
正に「手練」というのはこういう事なのだなと感じる演奏は、
全く理屈っぽくなく、マスターベイトでもなく、
知らぬ間に客席の所謂主婦の皆さんも巻き込んで、
仕事で行った我々も気持ちが良かった。
ジャンルとかいう話ではなく、
ああなりたいなぁと思う。
仕込みの後、開場待ちの観客が三々五々集まる喫煙スペースは、
廃線跡のホームの様にも、片道しか走らない路線のホームの様にも見え、
あのおじいさんは顔があるのだろうかと心配になったけれど、
どうやら顔はあるようだった。